林智子のもうひとつのプロフィールとエピソード

★もうひとつのプロフィール

しっかり者で厳しい母「美代子」と、お人好しで限りなく優しい父「正弘」の愛情に包まれて、すくすく育つ。

しかし、4歳のとき、私の歌を聴いた母が「女の子なのに、こんな音痴でどうしよう」と青ざめ、近くのヤマハ音楽教室へ。 

 

そこで、ピアノに出会う。

(実は音痴ではなく、父の歌う歌を、正確に真似していただけだったことが、後に判明。

 つまり、父が音痴で、私は音才があったようだ。)

 

ピアノが大好きになり、絶対にやめないからという約束で、ヤマハのU1(一番小さなアップライトピアノ)を買ってもらう。

嬉しくて、嬉しくて、天まで昇るような夢心地だったのを覚えている。

 

その日から、毎日30分ピアノを弾くこと。これが私の日課となった。

 

 毎日ちゃんと練習するので、どんどん上達して、グループレッスンでは足並みがそろわなくなった私に、先生からのアドヴァイスで、姫路(兵庫県姫路市 世界遺産の姫路城があるところ)ではいい先生と評されていた「小山知子先生」に習うことになった。

 

先生はとても気品があり、厳しいけれど穏やかでな美しい方だった。特に印象的だったのが、甘い香りと左手に輝く指輪。先生にあこがれた私は、練習するとき、いつも左手におもちゃの指輪をつけた。そうすると、とても上手にピアノが弾ける気がしたから不思議。

 

 小学生2年生で初めて「NHK子供音楽コンクール」に出場した。  

何を弾いたんだろう?そのころはソナチネを練習していたから、多分その中から弾いたんだろうと思う。予選ではドキドキして心臓が飛び出しそうになった。

 

ナーバスになっている私に「緊張しなくなるお薬よ」と、母が薬(錠剤)をくれた。  本当に良く効く薬で、本選では、私はとっても落ち着いて演奏が出来た。  

あとで聞いた話だが、その薬はアリナミン(栄養剤)だったとか。

 

人間って、気持ちのもち方次第で、こんなにも変わるものなのか!

●エピソード1

4歳のころ、私は大変な恥ずかしがりやだった。近所のおばさんに「ともこちゃん」と声をかけられただけでも恥ずかしくて、泣き出してしまうほど。

 

そんな私の将来を案じた父がある作戦を考え、実行した。その作戦とは・・・?

 

お天気のよい夏の日だったと思う。私は父と2人で草むらに潜んでいた。覚えているのは、「お父ちゃんがここで見とったるから、あそこの男の子を泣かして来い!ともこやったらできる!」と。

 

なぜだか理由は忘れてしまったが、恥ずかしがりやで泣き虫の私は、勇敢にも(?)走り出て、小学生の男の子2人を泣かして帰ってきた。それ以来、近所のおばさんに声をかけられても泣かなくなったらしい。

●エピソード2

小学2年のとき、母に怒られて、ランドセルと一緒に家の外に放り出された。(ほうきを持った母に追いかけ回され、必死で逃げたと思う。)家に入れてもらえなくなった私は、ランドセルから飛び出した本やノートや鉛筆を、泣きながら片づけた。その中にお金の入っている給食袋(当時、給食代金は毎月学校に持っていっていたようだ)を見つけた私は、家出を決意!!ランドセルを背負い、はだしで、泣きながら近くのバス停に向かった。バスを待っているときに、隣のおばさんに見つかり、連れて帰られ、私の家出は失敗に終わった・・・・・。